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リバプール土産

当院院長が、GWを利用して、念願のイングランドへ旅行に行ってきました。そしてその、お土産
なんと、Beatles のキャップ! 何種類かありますね。 6日間で各地回ったそうですが、特にリバプール
は街並みも綺麗で良かったそうです。洗練されたスタイリッシュな街あこがれです。(笑)そっちのほうの写真は機会があれば
掲載したいと思います。院長曰く、街が綺麗、車の運転が皆さん上手で路上の縦列駐車なども本当に、綺麗に並べて停めるそうです。

山梨も負けずにこれからスタイリッシュな街になるといいなぁと思いました(笑)!!!!

以下Wikipediaより引用

地勢[編集]
アイリッシュ海に面し、マージー川の河口に位置する。18世紀より貿易港として発展した。近隣の都市としては、約50キロ東に位置するマンチェスター、約25km南に位置するチェスターなどが挙げられる。マンチェスターとは市域面積及び市域人口がほぼ同じ。
歴史[編集]
街の建設
最初に記録に現れるのは1195年、”Liuerpol”または”dirty pool”としてである。それから12年後、1207年にジョン王が都市建設を勅許し、まだ村であるリヴァプールに自由都市の特権をあたえた[2]。とはいえ、しばらくは小さな港で、16世紀中ごろの人口は600人程度であったそう。
成長・発展
しかし17世紀末に近郊のチェスター港が泥の堆積によって衰退、チェスターに代わってイングランド北西部商業都市の代表格にのし上がり、郊外では製造業が成長、アメリカおよび西インド諸島との貿易が増大するにしたがい町は繁栄した。1715年、イギリス初の係船ドックが建設される。植民地との貿易が盛んになった18世紀当時のイギリスは、ヨーロッパからアフリカへ日用品や火器を、新大陸からヨーロッパへ砂糖などを持ち込む「大西洋三角貿易」において、ほぼ独占的な地位を築いており、リヴァプールは、この北アメリカ・西アフリカをむすぶ三角貿易の拠点として中心的な役割を果たしたのである。ただし、これはおもに奴隷貿易で急速に発展したという負の歴史があることも意味する。
三角貿易などを通じて資本蓄積を成し遂げたイギリスは、世界にさきがけて産業革命を進展させた。こうしたなか、リーズ・リヴァプール運河の本線は1816年に完成した、及び1830年にはリヴァプールと内陸のマンチェスターを結ぶ鉄道が開通し、1860年代には鉄道交通の要所となる。綿織物工業が発展していたマンチェスターから運ばれた商品は、この街の港から世界に輸出され、19世紀末にはロンドンに次ぐ「帝国第二の都市」とまで呼ばれるようになった。また、シノワズリ(中国趣味)を摸した陶器生産の拠点でもあった。この間、多くの移民が主にアイルランドから労働者として流入し、人口が急増。19世紀にはアメリカとの貿易および客船業務でイギリス第一の港に成長した。
衰退
最盛期は80万人近い人口を抱え、イギリス有数の工業都市・交易都市として栄えたリヴァプールだったが、第二次世界大戦時にドイツ軍のはげしい爆撃にさらされ、1940年代後半、綿貿易と繊維産業は急速に衰退した。さらに、1950年代以降イギリス全体が長期の不況に陥るのと並行して急速に斜陽化し、次第に地位が低下していった。
再建
だが、1960年代から1970年代には大規模なスラム浄化と再建計画がはじまり、現在は、港湾部の歴史的な施設、ビートルズゆかりの建物、街角に配したアート・オブジェなどを活用した観光に力を入れており、今では観光が街の経済を支える規模になっている。18世紀から19世紀の海港都市としての姿を残している一部の地区は「海商都市リヴァプール」の名で、2004年にユネスコの世界遺産に登録され、それがさらに観光産業の追い風になっている。
経済[編集]
港では、穀物・食料・木材・非鉄金属・繊維などを輸入し、アイルランド行きの客船もでている。製造業は、医薬品・電気器具・精製糖類・粉製品・ゴム製品などの製造が盛ん。郊外では自動車の生産や精油もおこなわれる。
交通[編集]
飛行機[編集]
ジョン・レノンの名前を冠したリバプール・ジョン・レノン空港が市内にあるが、比較的近郊にあるマンチェスター空港のほうが規模が大きく、同空港からもリヴァプール行きの鉄道やバスが利用できるので欧州系の航空会社などで日本から同市を訪れる場合には、マンチェスターを取り敢えず目指すという方法もある。
鉄道[編集]
主な駅としてライム・ストリート駅があり、長距離列車はほぼ1時間に1本でロンドンのユーストン駅まで2時間半。このほかマンチェスターやバーミンガムなど、各地から列車が来る。
このほかにマージーレイル(英語版)が、ライム・ストリート駅を中心にチェスターや空港その他に向けて運行されている。
バス[編集]
ロンドンから5時間。他地域へのバスもある。
教育・文化[編集]
リヴァプールにはリヴァプール大学、リヴァプール・ホープ大学(英語版)、リヴァプール・ジョン・ムーア大学などの教育機関があり、多くの学生が学んでいる。また、市街の世界遺産を生かして芸術政策にも力を入れており、アルバート・ドック(英語版)の一部を利用しているテート・リバプールと、マージーサイド海事博物館(英語版)、リヴァプール・ワールド・ミュージアム(英語版)、ブルーコート・チェンバーズ(英語版)など、多くの博物館・美術館がある。このうち、マージーサイド海事博物館はヨーロッパ産業遺産の道のアンカーポイントの一つにもなっている。
多くのミュージシャンを輩出し、リバプールサウンドの言葉も生まれた。
食物としてはスカウスが有名であり、リヴァプールの人や言葉のこともスカウスと呼ぶ。
観光[編集]

「リヴァプールの三美神」と称されるロイヤルリヴァービルディング(Royal Liver Building)、キューナードビルディング(Cunard Building)及びポートオブリヴァプールビルディング(Port of Liverpool Building)。いずれもピア・ヘッド(Pier Head)に位置する。保険会社のビルであるロイヤルリヴァービルディングの屋上には、街のシンボルで同社のシンボルでもあるライバー・バード(Liver bird)の像が見える。

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